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ちむどんどん、借金返済はできたのか?仮に返済してるならどんな方法が?

2022年5月7日

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借金返済で困っている様子

4月より放送開始したちむどんどん。

最初は比嘉家4兄妹の子供時代のことが描かれていましたが、4月22日の
放送回には主人公の暢子が小学生から高校になり、その7年間に家族に
どういうことがあったの説明がありませんでした。

実は比嘉家の7年前には父の賢三が銀行より借入していた多額の借金が
あったのです。

7年後にはその借金がまるでないかのように振る舞っている比嘉家の在り方に
視聴者から困惑の声が挙がっています。

そこで今回は比嘉家の借金返済はできたのか?
視聴者からの困惑の声

をまとめていきたいと思います。

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ちむどんどん、比嘉家の借金返済はできたのか?

5月2日からの放送週では兄の賢秀が、家族を楽にさせたい一心で儲け話を
探し回り、1000ドルの資金集めをおこなう様子が描かれました。

ということは家族はまだ貧乏なままなので借金を返済していないということに
なります。

ところが暢子がバイトもしていないのに自分の住んでいる村から30分も離れている
ハンバーガーショップにバスに乗って食べに行くことに視聴者からの困惑の声が
挙がっています。

現状の比嘉家の借金の状態が分かりにくいので一旦まとめていきます。

比嘉家が借金を抱えるようになった事情

暢子が小学生のときに、自宅建設用の土地取得とサトウキビ農家畑購入のため、
父の賢三は銀行から多額の融資を受けています。

その額、500ドルです。

父の賢三が亡くなった年は1964年(昭和39年)です。

500ドルは今の1ドル約130円で換算すると65000円と大した金額ではありませんが
その頃の500ドルは今の貨幣価値で考えるとどれくらいでしょうか?

今の感覚でいうと大雑把には4人の子持ちのシングルマザーが約500万の
借金を抱えている状況となります。

母の優子が借金返済のため、工事現場に働きにでますが、身を粉にして働いても
日給はやっと1ドル。月給で30ドルです。

もし優子の月給を全部返済に充てることができれば2年で返済は完了することに
なります。

しかし、借金に加え4人の子供たちを高校、短大の進学に通わせることを考えると
比嘉家にかなりの収入がないとこの話がリアリティのないものとなってきます。

東京に住む、父賢三の叔母が子供を一人引き取る話になったものの、
東京行きを決心した暢子が土壇場で心変わりし、その話もなくなりましたよね。

働き手が母一人しかいないなか、比嘉家はどうやって生活してきたのか
疑問が残ります。

空白の7年に視聴者も困惑?

確かに家が貧乏の様子とはなっていますが、比嘉家の借金問題が解決したか否か
分からないまま、一気に7年後のシーンが描かれたことから

「借金はどうなったの?」
「空白の7年間 気になって仕方がない」
「生活が出来ないんじゃなかったの?」

などと視聴者も困惑。

その一方で、

「借金はドル建てだったから7年間の急速な円高で目減りしたんじゃね」
「叔父さんが亡くなって比嘉家に遺産が転がり込んできたのかもしれない 」

と今後の展開を予想する声もあがっていました。

7年後、4兄妹はどのように成長した?

ちむどんどんの公式Twitterアカウントが投稿したツイートや第1回の放送によると
比嘉暢子は1964(昭和39)年の時点で、10才で小学5年生と言う設定です。

https://twitter.com/asadora_nhk/status/1513064242617847811?s=20&t=AUQV0wJo9UEWd4lX9nUR7g

その7年後となるので、1971年(昭和46年)の舞台になっています。

4月25日からの放送では

優子(仲間由紀恵)は島の共同売店の店員として働きながら畑仕事と内職を
していること。

暢子(黒島結菜)と歌子(上白石萌歌)は高校生になり、
長女・良子(川口春奈)は短期大学を卒業して夢だった学校教師に。

また、、長男・賢秀(竜星涼)は就職が長続きせずニート状態であることが
わかります。

https://twitter.com/asadora_nhk/status/1493419802194497536?s=20&t=aGgoDr2TzDuGWrheVhno3Q

家族の情況として、暢子や歌子は高校のセーラー服を着ているものの、
襟はくたっとしており、リボンもちゃんと輪っかの形にならないほど
くたびれている様子。

もしかしたら子供のころの体操着のように、先輩からのおさがりを
着ているのかもしれない。

しかも暢子がスカートに焦げを作ってしまった時に、紺色なので目立たない
ものの当て布で補修している様子も描かれています。

仮に借金を返済してるならどんな方法が?

ではこの借金返済問題ですが少しでも減ってるとするとどんな方法があるか?
考えてみました。

世界的なインフレ

一番に可能性があるのは比嘉家の子供たちがまだ小中学生だった1960年代後半に
世界的にインフレが進行したことです。
【沖縄の50年前についてもっと知る】
ちむどんどん、沖縄の50年前が舞台に!その頃の沖縄の人の暮らしぶりは?

インフレ下では賃金や物価が上がる一方で、借金は相対的に小さくなります。

物価と賃金が2倍になれば、単純計算ですが借金は半分になったも同然なのです。

そしてこの時期、沖縄では実際に物価が1.5~2倍に上昇していたのです。

また賃金に関しては1970年(昭和45年)時点で琉球政府の労働基準法により、
最低時給は23セントと定められています。

8時間労働で1.84ドルとなることから、昭和39年時点で優子が日当1ドルを
もらっていたころから、やはり2倍程度の賃金上昇となっていた計算となります。

4月27日放送回では、新任教師の良子が70ドルの給料を現金で支給される
場面がありました。

彼女がその半分を家に入れ、借金返済に費やせるなら、500ドルの借金を2年も
しないうちに完済できる計算です。

それだけインフレというのは家計に与える影響も大きかったと考えることが
できます。

さとうきび畑を売る

サトウキビ農家はとにかく重労働。

男手がなければやっていけない仕事です。

実際、視聴者の方々も以下のように考えている方が多かったです。

上記に対してはドラマの中ではっきりわかるシーンがあります。

4月27日の放送回で暢子が兄の賢秀に

「母さんは朝は畑で昼は売店で働いている」

と言っています。

また優子が

「うちは小さい野菜畑だから」

と野菜畑で村の人に話をしています。

このシーンをみるとさとうきび畑は売却して、小さい野菜畑を借りて
自分たちが食べる野菜程度は栽培していることが考えられるでしょう。

父の形見の三線を売る

これについては父の形見でもあるがもしかしたら?
ということもありましたが、きちんと保管されていました。

他、借金返済ではありませんが長女の優子が短大に通えた理由としては
返還前の沖縄には、本土の日本育英会に相当する琉球育英会があり、
奨学金を得ての短大進学が可能でした。

【長女の優子役:土屋希乃と川口春奈についてもっと知る】
土屋希乃は川口春奈と似てる?

また当時は“返還特別免除”という制度があり、小学校の教員になれば奨学金
の返済が免除されたのです。

これらの制度を利用して良子は短大に通い、就職した後は奨学金の返済に
追われることなく、家計にお金を入れているのでしょう。

長男の賢秀が定職に就かないなか、良子が教員になったことで比嘉家の家計は
大幅に好転したと思われます。

私も大学4年間の2年間は通っていた大学より学費を免除してもらいました。

母子家庭である私にはその当時は大変ありがたいことで、やっと一人前の
生活ができるようになったので、今度は大学に寄付金を毎年できるように
なったことをとても嬉しく感じます。

追伸:まさかの借金返済劇

5月12日放送で、連絡が途絶えていたヒロインの兄・賢秀が東京で
プロボクサーになっていることが判明しました。

10日の放送で、怪しい投資話に騙され、借金を倍にして返すと書き置きを
残して1人どこかへ旅立ちました。

しばらく連絡がなかったが、ある日いきなり1万円札がどっさり入った
封筒が家族に送られてきます。

実は賢秀は、東京でプロボクサーになり、デビュー戦初勝利を伝える新聞には
沖縄から期待の新星と書かれているのです。

まさかの展開に

「涙腺崩壊 にぃに、やるときゃやるね」
「バカでもなんでも家族は大事をつらぬいたニーニーの行動に一本取られたわ」

一方、この唐突な展開に

「ボクサーになる過程をすっ飛ばして、急にプロボクサーになったやん」
「ご都合主義すぎん?時間の経過がちゃんと描かれていないけど ボクシング
デビューできるくらい期間あった?」

と批判の声も挙がっています。

ただこれで一旦は借金問題について片がつきました。

これで暢子が上京して料理人になるという夢も叶っていく展開になりますね。

まとめ

今回はちむどんどん、比嘉家の借金返済はできたのか?
比嘉家が借金を抱えるようになった事情
空白の7年に視聴者も困惑?
仮に借金を返済してるとするなら?

などについてまとめてみました。

調べてわかったのは視聴者の声はドラマの展開のつじつまが合わなくて
登場人物への共感ができないとの意見が多かったように感じます。

今回の脚本は羽原大介さん。
【脚本家、羽原大介氏についてもっと知る】
ちむどんどんの脚本家、羽原大介(はばらだいすけ)の代表作は?

映画「パッチギ!」、「フラガール」
で2年連続日本アカデミー賞優秀脚本賞受賞しており、他のどの作品も
面白いと幅広い層から支持されています。

唐突なドラマの展開に視聴率も下がる傾向に、、、

ここは仕切り直しでドラマが面白くなることを期待しています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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ダッチさん

ブログ歴1年5ケ月、206記事のアラフィフ親父。 1年目は収入0 最近になってブログが収益化できるようになってきました。 本業は保険の営業を27年間。 世の中のトレンドを中心にドラマや映画関連のことをブログに書いています(^^) 日々のブログの実践で実績があったことを含め、皆様方に役にたつ情報をツイートしていきます。

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